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OCT MAGAZINE

2007.09.15

結果的<自己チュウ>

 こんにちはTAの田中です。
 今年の?新学期の始まった4月のブログで今年からは当ブログの管理から外れますと宣言しましたが、最近あまり更新されないブログを見て、ちょっとお手伝い代わりに今日は書いてみようと思います。
 このブログも最近は若干、掲示板化してきましたが、しかしアクセス情報をみると今週(月曜日~土曜日)のアクセスが167件、今までの累計が10,582件です。1週間で167人の人と話をしたり、電話したりと考えると大変です。しかし、ブログというのはそんな事を代わって出来るんですね。これもいわゆるコミュニケーションのひとつの形ですね。ある意味、文明の利器と言ってもいいですね。
 FREEHAND講座も先週で無事終了いたしました。ラスト講座は「プレゼンのコツ」ということで皆さんが創られた夏休み課題の模型を実際に周辺環境模型の中にはめ込んで撮影会を行いました。その作品写真をフォトのスペースにアップしています。
 見ていただければ分かりますが、ちょっとライティングやアングルを考えるだけで印象はまったく変わってしまいます。「人に見てもらう」というのは「如何に見せるか」ということまでを考えることだと思います。設計をするというのは、そこまでの配慮があるかということに尽きると思います。
社会に出ると「線を引く、図面を描く、模型を作る、レイアウトをする」といった労働的作業には限りある対価しかついてきませんが、「何かを考える、何かを伝える、何かを共感させる」といった創造的作業には無限の対価がありえます。
 特に設計という分野は施主を思い、施工を考え、隣人を気にして、街を形成させ、社会や国を見据える、将来の行く末を想像するといった視野の広さが求められます。自画自賛では只の自己満足でしかありません。建築とは乱暴な言い方をすれば自然破壊の一種であり、その存在が許されているのは多方向的かつ重層的に配慮がなされているからだと思います。
 その表れとして建築業界のバイブル的法律の「建築基準法」の立法根拠となっている「憲法第13条」にも「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。つまり公共の福祉に反するものは自由民主主義の日本においても排除されるということです。公共の福祉というと何だか遠い存在に感じますが要は「施主を思い、施工を考え、隣人を気にして、街を形成させ、社会や国を見据える、将来の行く末を想像する」と言うことだと思います。
 皆さんの作品にその思いやりがあったでしょうか?是非、省みていただきたいです。
 ところで、先日、安倍総理の辞任が表明され、各方面からこの時期での辞任は無責任だと批評されています。辞任の原因は立ち行かない国会運営に過度のストレスを感じて精神的、身体的に総理としての職を全うできないということでした。
 しかしこう言う事は国政レベルだけでなく僕らの日常でも最近多いです。例えば工務店では現場監督が長続きしない、分譲会社では営業がすぐに辞めるなどいわゆる調整役的立場や指導的立場の人がなかなか仕事を全うできない。プロジェクト(仕事)というのは一人でするわけでなく様々な立場の人が様々な利害関係の中で一つのモノを創り上げていくわけで、フォローな風だけでなく、横風や向かい風など様々な風の中を進んでいかなければなりません。そういう様々な風を一つに束ねていって初めて何かの成果物が出来上がると思うのですが、そういう作業をストレスと感じる風潮があるようです。そして最終的にその立場から逃げ出し、自分を守りたいという自分優先的な発想に変わっていきます。しかし、僕らの一世代前の人たちは「ほしがりません勝つまでは」といって戦争を経験し、戦後は外国から「勤勉日本人」と言われるほど如何なる逆境でも何事も投げ出さない素晴らしいバイタリティーとメンタリティーを持っていたと思います。
 自己中心的<自己チュー>という言葉がありますが本来は性格的自己チューなんでしょうが、最近は結果的自己チューというのが多いと思います。何かから逃れる、もしくは避ける為に自己逃避する。結果的に周辺や全体にどのような影響やロスが発生するか考えない、これが結果的自己チューだと思います。前述の安倍総理も人一倍、日本の国政を考え、国民を想う立派な政治家だったと思うのですが最後は自分の身を案じて向かい風に押し流されてしまい、結果、前代未聞の辞任劇となり多くの影響を与えてしまったのだと思います。
 精神的とは言いますが朝青龍の例もありますが最近は何か都合の悪いことがあるとすぐに「精神的」の方向に論じられる。刑事事件などで人を傷つけても「精神鑑定」や「心身喪失」「心神耗弱」とすぐにそちらに走る傾向があります。又もや乱暴な言い方をすれば意図的に人を傷つけようとする時に平常心でいられる訳が無く、ある種、異常な精神状況であるのは至極当たり前の事だと僕は思います。
 これは仕事やモノ創りのシーンに於いても同じことが言えると思います。様々なプレッシャーの中で自分を追い込み、苦悩の中で産み出すからこそ人は評価するし、賛美されるし、如いては対価を受け取る事が出来るのだと思います。逆説的に言えば、誰でも出来ることに人は対価を払おうと思わないと思います。そんな事なら自分でする方がよっぽど経済的です。
 先日、来月訪れる桂離宮にあわせてNHKのプロジェクトX? 「桂離宮 職人魂ここにあり」のDVDを見ました。その中で桂離宮昭和の大改修において40数名の昭和の名工が集められ、その現場事務所の所長に大林組の当時、若干34才の現場監督が任命されたそうです。彼はビル建築の経験しかなく、日本建築を代表する桂離宮の改修工事をまかせられたプレシャーから一晩で髪が白くなったそうです。その精神状態たるやおそらく心神耗弱どころの話では無かったと推測されます。しかし、そのプレッシャーに耐えて仕事を成し終えた事によりDVDになるほどの賛美を得たわけです。
 途中で投げ出しても理由はいくらでも付けられます。しかし、それは結果的自己チューなんだと思います。
皆さんも学内課題や自宅課題、卒業設計、そして日頃の仕事や生活で、途中で投げ出して結果的自己チューにくれぐれもならないように頑張って下さい。
 プレッシャーから逃げたところで自分自身のメンタルが保護されるだけで何も得るモノもなければ人に与えるモノもありません。プレッシャーを耐え忍び、跳ね除けて開放されれば、その先には多くの得るモノと大きく人に与えるモノがあると思います。
 なんだか堅い話になりましたが、最後に話は変わって2009年にフランス政府がユネスコ世界遺産委員会に「ル・コルビュジェの建築と都市計画」として世界7カ国にあるコルビュジェの作品計23件を推薦するそうです。その中には東京・上野公園にある「国立西洋美術館」も含まれているそうです。建築家の名前が冠された世界遺産というのは初めてのことですから、もしこれが実現すれば今後の建築家の社会的立場も大きく変わっていくことでしょう。特に日本では建築家というは異種的に見られていますし、この前に黒川紀章さんの出馬ではもはや変人の領域に達しているのではないでしょうか。そういった意味では建築家の社会的地位向上に大いに影響すると思います。
<参考HP>
*先日の岸上先生設計の「GEN」構造見学会の模様をフォトスペースにアップしておきました。是非、ご覧下さい。(ダウンロードもできます)
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